「雛祭り」とジェンダー規範(「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んで)
今週のお題「雛祭り」
女の子の健やかな成長を願う桃の節句「雛祭り」
「雛祭り」は結婚式を模したもので、将来素敵な結婚ができるよう願いを込めて、お雛様が飾られる。
「片付けが遅れれば婚期が遅れる。」なんてことも言われ、見方を変えると、幸せな結婚をすることこそ女の子の理想とする観念とは切っても切り離せないイベントでもあり、固定的なジェンダーを植え付けるものと指摘される可能性は常につきまとう。
直接的に女性に何らかの観念を押し付けるものではなくとも、伝統的な規範が背景にある行事が存在し続けることで、無意識的にあるべき女性像が刷り込まれていくことを懸念する声に対して、なかなか真っ向から反論することも難しい気もする。
韓国で大ヒットした小説で、日本でも話題になった。
図書館で予約していたところ、ようやく順番が来た。
妊娠を期に仕事をやめた主人公キム・ジヨンの半生が描かれ、 韓国に生きる現代女性の生きづらさに触れられている。
一応小説なのだが、小説というには、 あらゆる描写が著者自身の体験のようにリアルで、 随所に統計データも取り上げられ、 問題意識も非常に明確な、ジャーナリスティックなものとなっている 。
韓国独特の文化がありながらも、 現代女性の生きづらさという点については、 日本も似たようなものを持っているからこそ、 日本でもヒットしたんだと思う。
ここで、小説を読み進めて思った、日韓で共通するところ、異なるところをまとめてみたい。
1,日韓の共通点
その部分の描写は日韓で共通しているように思った。
たとえば、小説の主人公の夫は、しきりに家事育児を「手伝う」という言葉を使う。
その言葉に主人公がカッとなり、「 なぜ他人に施しをするみたいな言い方するの?」とかみつく。
手伝うとは、まさに「他人に施しをする」という意味合いで、 そこに当事者意識が見られない。
主人公は、夫婦で暮らしているのであれば、 本来的には夫婦で家事をするべきところ、女性である自身の本来業務とされていることに問題意識を抱く 。
他方夫は優しさから「手伝う」という言葉を用い、その言葉が固定的な性役割意識にとらわれていることにいつも無自覚だ。
主人公にかみつかれた夫は当惑で口ごもる。
こうした話は日本でもよく聞く。
家事の役割分担が当事者の合意でなく、 社会的風潮によって当然に規定されていることに加え、その構造に無自覚な夫を責めてしまうことに対する罪悪感が、女性の怒りとあいまったやりきれなさにつながっているように思う。
「手伝う」という言葉はたしかに当事者意識を欠いているし、 イラつく心理はとてもよく理解できる。
しかし、男性側からするとそういう意識に無自覚で、 思わずそんな些細なことで…と思ってしまう面もあり、難しい。
些細とされるあらゆる問題がこの小説には丁寧に描かれている 。
2、日韓の相違点
日本と違い韓国には徴兵制がある。
この制度の存在が、ジェンダー観に大きな影響を与えているようにも思う。
就活にあたり、主人公の同級生の女性が、大学が持っている 企業の推薦枠について、その枠に入れる者が男性だらけな理由を教授に問い詰めるシーンで、教授は「軍隊にいってきたことへの保障」を持ち出す。
軍の存在は非常に大きい。
軍での経験を通し、一人前とみなすいわば通過儀礼的な意味合いもあり、それが男性にだけ課せられるものだとすれば、おのずとその経験を経ていない女性は半人前という見方が出てくるようにも思う。
女性ならではの苦悩はあっても、明確な通過儀礼的なものがなければ、なかなかその認識は動かせないだろう。
意識の面では徴兵を当然に免れる女性が優遇されているように受け止める男性も少なくない。
徴兵をめぐっては、いっそのこと女性にも課してしまったほうが問題がすっきりするのでは?とも思ってググってみたところ、やはり議論の俎上には載っているようだ。
以上、日韓の共通点、相違点に触れたが、徴兵制度のない日本でも「1,日韓の共通点」で述べた点については、今後ますます叫ばれることとなるだろう。
行事としての「雛祭り」の今後の展開と併せ、ジェンダー規範のうつろいには今後も注視したい。