バレンタインデーの社会的機能
今週のお題「チョコレート」
バレンタインデー、それは年に一度、 女性が思いを告げることができる日。
女性から男性に想いを伝えることが忌避されるようなジェンダー規範が強かった時代、女性の想いを行動にかえるきっかけを与えるものとして、機能していたのだろう。
10代の頃、バレンタインデーで取りざたされるチョコレートといえば、「本命チョコ」だった。
そこでは異性からモテる者、モテない者が可視化され、後者であった私にとってはどこか辛いイベントであった。
酸っぱい葡萄的な思いをこじらせ、製菓業界の戦略にのせらるものかと斜に構えたことも懐かしい。
前述の文脈でのチョコレートとは別に、「義理チョコ」という言葉もある。
好意をつたえるきっかけとしてではなく、日ごろの感謝を伝えるためにチョコレートを渡すものだ。
「友チョコ」という言葉もあるが、時代にあわせてつつ、バレンタインデーにおけるチョコレートの位置づけが少しづつ変容し、その慣習が生き伸び続けているところに、製菓業界の強かさも感じる。
人間関係のメンテナンスとしての機会としては、チョコレートを渡す過程で、コミュニケーションが生まれ、心理的距離が縮まり、人間関係の円滑化につながるものとして機能している。
普段事務的にしか関わらない人とも、チョコレートを介して会話のきっかけ、感情の交流が生まれ、コミュニケーションコストが低減するという効果も期待される。
一方で、儀礼としての性格が強まり、規範化された贈与の圧力として機能し、事務的な関わりに収斂している面もある。
儀礼として規範化された以上、バレンタインデーに乗じず、チョコレートを渡さないことが、その規範の逸脱ととらえられ、人間関係に角が立ちはしないかと、準備する負担を感じながらも渋々チョコレートを渡す人も少なくないだろう。
特に、多くの人がその規範に無自覚に乗っかっている集団であれば、そこからの逸脱は非常に難しくなる。
もらう男性側も、返報性の心理*2が働き、手放しに喜べる機会でもないように思う。一か月後に、ホワイトデーという返報性の規範にさらされる日が丁寧に用意されており、もらったチョコレートに見合ったものを渡せるよう、あれこれ気をもむことになる。
きっとこの儀礼の規範化に息苦しさを感じる人が増えてきたのだろう。
また、ジェンダー規範から自由になることへの要請が求められている時代にも、こうした習慣はそぐわない。
とはいえ、こうした一度こういう規範が生まれてしまった以上、それを打破する のは大変だ。
その規範を打ち破るのは、また新たな規範なのだろうか*3