コロナ禍の自己管理(私生活面)

お題「#この1年の変化

 

前回、仕事面での「コロナ禍の自己管理」*1をまとめたが、今回は私生活面でまとめたい。

 

新型コロナウイルス感染症によって、私生活もがらりと変わった。

いや、より正確に言えば、傍から見た生活はそんなに変わっていないのだが、内面には大きな影響を与えるものとなった。

 

コロナ禍では、外出自粛が求められた。

これが、私が学生時代に陥っていたネット依存*2という負の特性を呼び覚まし、また際限なく助長させるものとなった

当時の依存はまるで底なし沼のごとく、あがけばあがくほど深みにはまっていく類のもので、いわゆる人の三大欲求とされる食欲、睡眠浴、性欲に並ぶ4つ目の欲求として、ネット欲が追加されたかのような、 脳にダイレクトにきいてくる厄介なものだった。

もはや自己管理能力でどうこうできない領域のようにも思え、社会人になることに不安も感じていたが、まあなんとかなった。

 

いまははてなブログに執筆することで、チャットからは少し距離をとれている。

ネット依存には変わりはないのだが、まだ自らの思いを整理し文章にまとめる作業がある点、チャットに依存するよりは幾分かましだろう。

 

さて、外出自粛によりネット依存が悪化することは想像に難くないだろうが、そのメカニズムを改めて追いなおしたい。

 

新型コロナウイルス感染症が流行する前までは、休日に快晴にもかかわらず、外出せずネットばかりしていると、うっすら罪悪感を抱いていた。

この罪悪感は、過去の異常なネット依存の記憶を思い起こさせるちくちくしたもので、外で活動できる状況であるにもかかわらず、いかなる天候でも関係なくできるネットであえて一日を潰すことにもったいなさを感じるところから生じている。

そんな罪悪感があったから、土日のいずれかは外に出るようにはしていた。

多くは、この罪悪感と翌日の仕事の存在をよりリアルに感じ始める日曜の夕方頃に外出していたが、どこか「休日も外出し一日を満喫すべき」という価値観に屈し、本意ではない外出を迫られているというような受け止めをしていた

 

去年の4月に発出された緊急事態宣言は、そうした罪悪感を吹っ飛ばすものとなった。

私の場合、外出自粛の要請を自らの行動規範として過剰に受け取り、それを都合よく引きこもり、ネット依存を正当化するものに転嫁していたようにおもう。

ネットにはこれまで以上にのめりこみ、あっというまに学生時代に陥ったネット依存と似たような状態となった。

当然楽しいからネットをするわけだが、一方でネットに接している時間が長ければ長いほど、気に入らない発言に出会う場面も多くなる。

そんな状況で、SNSやチャットでの他人の発言にいちいちイライラしたりすることが増えてしまった。

チャットサイトで生じるいざこざについて、小さな鳥かごで小競り合いをしているかのような虚しさを感じ、同時にこれまでの罪悪感からではなく、純粋な外出・運動欲求が自らのうちからむくむくと顔を出し始めているのを感じた。

無論、外出自粛は「自粛」にとどめられており、物理的には鳥かごの扉は開かれている。

しかし、外出を自らのうちで積極的に禁忌としたことと引き換えに、ネットにのめり込むことを肯定していた自分にとって、ここで鳥かごからの脱出をはかるのは、自己矛盾に感じられ、簡単に外出するわけにはいかなかった。*3また、ネット漬けによる疲れから外に出るエネルギーもなく、結局パソコンの前に座ってしまうという負のスパイラルに陥った。

 

コロナ前、休日に窓越しの雲一つない青空を見ても「休日も外出し一日を満喫すべき」という外圧を盛り立てるものとくさしつつ抱いていた罪悪感が、前述の経験を経て、むしろ、自らのうちから湧き上がってくる外出・運動欲求の萌芽だったのではないかと思うに至った。

 

と、ここまでいかにネット依存という負の面ばかりを書いてきたが、こうした状況をなんとかせねばならないという意識も働き、それが新たな習慣を生み出すものとなった。

新たな習慣とは筋トレである。

きっかけは以下の書籍だ。

筋トレが最強のソリューションである マッチョ社長が教える究極の悩み解決法 | Testosterone(テストステロン) |本 | 通販 | Amazon

 

生きていてぶつかる課題に対し、いずれも「とにかく筋トレしろ」という結論に結び付けられるのだが、筋トレの効能が著者の経験則のみならず科学的にも説明されており、筋トレをする気にさせられる本だった。

 

上記の本で筋トレ意欲を書き立てられ、運動欲求そのものにこたえるため、また目と脳を酷使するネットから距離をとるため、さらに習慣を継続することで苦手な自己管理ができている実感を獲得するため、緊急事態宣言開けにジムに通うようになった。

 

こうした己の外出・運動欲求に気づくこと、さらにその欲求にこたえていくという発想は、コロナ禍でなければ持てなかったように思う。

 

運動といっても週1~2のペースで筋トレをし、走るという単純なものだが、これはメンタル的にもいい方向に働いた。体を動かす習慣があまりなく、汗をかくことがなかったから、汗をかくことがこれほどまでに爽快なものなのかと改めて実感した

自己管理に苦手意識を持っており、あらゆるものごとが三日坊主に終わってしまう私ではあるが、今のところ運動は続けられており、成長の実感も得ることができた。

今後も最低は週一は筋トレにいそしみたいところだ。

*1:

f-boby.hatenablog.com

*2:主にチャットサイトへの依存

*3:今でこそネット依存という言葉を使っているが、このときは依存ではなく、どちらかというと望んでネットをしているという認識で、その認識を崩すことに抵抗があった。