土日以外で休むなら何曜日?
2月23日は「天皇誕生日」ということで休みだった。
令和になって2度目の「天皇誕生日」ではあるものの、 いまだにピンときていない。
令和も3年になるというのに、まだ平成の残像のただなかにいるのだろうか。
さて、今回はキャッチーなタイトルをつけてみた。
タイトルに対する私の答えは、ずばり火曜日である。
今週はいつも以上に仕事の調子がよかったのだが、 その理由が火曜日が休みだったことにあるのでは ないかと考えている。
火曜日が休みになることが及ぼす効果は以下のとおりである。
1、日曜夜の圧倒的憂鬱をおさえることができる。
日曜夕方の防災無線が鳴るあたりから、気分がどっと落ち込む。
こういう時間は運動をし、 ひと汗流すのが最近のルーティンになっているのだが、 その後夕飯を食べ、風呂に入り、テレビをつけだらだらと時間を過ごし、「音のソノリテ ィ」 *1を見るあたりで、 絶望で心臓が潰されそうになる。 「音のソノリティ」は、そこでしか聞くことができない音という切り口でいろいろな世界を 紹介するのだが、 その繊細な音が休みの終わりを告げる合図のように聞こえ、明日の仕事を迎える覚悟を固めさせられるのである。
この症状は、 休日と平日の区別があいまいだった大学時代を除き必ず待ち受けて いた。
日曜の夜に付きまとうしんどさは、静と動の切り替えに対する負担のようにも思う。
私は休日徹底的に休んでしまうため、脳が静モードに入る。
その静モードの状態から、翌日からの五日間を乗り越えるべく、動モードに切り替えなければならない。
火曜に休みを入れることで、 こうした憂鬱をおさえることができる。
たった一日だけ走るためのエネルギーを発揮すればこと足りると思えれ ば、そこまでの落ち込みはない。
また、日曜の夜も気持ちよく過ごすことができ、 貴重な休みのクオリティーをあげることに資する。
2、月曜日のパフォーマンスを向上させられる。
私にとって月曜日は、最も動きが悪い曜日だ。
昨晩の「音のソノリティ」をみて、間もなくやってくる月曜を受け止めようと覚悟したはいいものの、 そう簡単に切り替えはできない。
この先、五日間働き続けなければならない憂鬱を背負いながら仕事を するのが月曜日の常である。
特に朝は、 25メートルプールを息継ぎなしで泳ぎきるという課題を課せられ 、スタート前の深呼吸をしているかのような感覚だ。
こういうことを書いてると、「月曜日なのに機嫌悪いよどうするよ?」 という10年前のアニメの曲を思い出す。
これはその過ごし方を自らの一存で決めることができ、いかなる振る舞いも責任が取れる範囲内で許容される休日とは一転し、組織の部品として適合するよう自らの機嫌もコントロールすることが求められる5日間が始まったにもかかわらず、初っ端からそのコントロールに失敗する様を咎めているものとも解釈できる。
こうした状況からスタートする月曜日は、 結果的に仕事の成果も他の曜日と比較すると低いものになりがちで、大掛かりな会議なども月曜に設定することは避けている。*2
さて、こんな月曜の憂鬱も、明日休みという希望があれば、おさえられる。
個人的に仕事のノリが一番いいのは金曜なのだが、 金曜に近い力を月曜に発揮することができる。
3,土日以外に起きる時間を気にしなくていい日をつくれる
きわめて個人的な事情である。
私の住む地域では、火曜日以外の平日がゴミ収集日となっており、曜日によって捨てられるゴミの種別が決まっている。
ゴミ出しは朝に限られており*3火曜日以外の平日に休みを入れてしまうと、ゴミ出しのために朝起きなければならない。
その点火曜日に休みを入れれば、月曜の夜には翌朝きちんと起きてゴミ出しをしなければならないというプレッシャーを感じることなく眠りにつくことができ、さらには翌朝もずっと眠ってられる。最高だ。
理由としては以上である。
どこに休みを設定するかは、仕事はじめの憂鬱を軽減するかに主眼が置かれているように思った。
と、ここまで仕事がいかに憂鬱かに力点を置きすぎた感はあるが、いざ仕事が始まってしまえばなんのことはない。あっという間に5日は過ぎていく。
先に少し触れたが、金曜はとにかく仕事がはかどる。
翌日休みという希望があることもその一因なのだが、動モードが爆走し、タスクをこなす自分に酔いはじめ、土日も仕事をしたい!なんて錯覚を起こすこともある。
振替休日の考え方がよく分かってなかったため、「国民の祝日に関する法律」をみたところ、以下の通り定められている。*4
第三条 「国民の祝日」は、休日とする。
残念なことだが、決まっているものはしょうがない。
振替休日のロジックが分かったところで、残り1か月の今年度を乗り切ることとしよう。