電車遅延と「うるさい日本の私」

私は通勤で電車を利用している。

先日電車が遅れ、定刻を過ぎての出勤となった。学生時代は遅刻の言い訳ができると、電車の遅延を喜んだものだが、今となっては事情のある遅刻であっても、出勤後、通勤時間は私と同じくらいなのにすでに出勤している人を見ると、どこか申し訳なさを感じてしまう。

 

電車の遅れは人身事故によるものだった。
駅に着いた時、運転再開の見込みはたっていなかったものの、ホームで電車を待っていたら、いつの間にか後ろに列ができ、そこを離れたら運転再開後も中々電車に乗れないのではないかという思いがよぎり、そのまま待つことにした。
 
結果的には、ホームで寒い中1時間近く待たされることとなった。
とにかく寒い日で、肌を刺す冷気に加え、普段から流れているどうでもいい放送に、発車見込みを知らせる放送がかき消され、無性にイライラした。

 

当駅は終日禁煙です。
ホームと電車の間が広く空いておりますのでご注意ください。

 

定例的な放送は、人身事故が起きた場合などの非常事態においても、とめどなく流れ続けていた。駅の職員も 非常事態でてんやわんやだったのだろうか、あまりにどうでもいい放送は、まるで 人のコントロールを失った壊れたスピーカーのようで、狂気を感じた。
 
どうでもいい放送で思い出したのが、「うるさい日本の私」だ。
過去に読んだときに、著者の物事の言語化力と主張に面白さに圧倒されたことを思い出し、再読してみた。
 
 

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改めて読み直したところ、昔ほどの共感はできなかった。
電車の遅延で待たされていることに相まっての狂ったスピーカー的放送へのネガティブな感情がまだ胸の奥でかすかにくすぶっている今ですら、駅の職員に感情移入してしまい、「こんなこと」でいちいち目くじら立てるなんてと呆れ心が勝ってしまった。
 
さて、本の内容にも触れてみたい。
著者は、街のいたるところでスピーカーから流される案内、注意、呼びかけに苦しめる「スピーカー音恐怖症」を患っており、その苦しみを時にクレーマーのようにあちこちで主張するなどの活動をするのだが、なかなか相手にされず途方に暮れる様が本書にえがかている。
活動の様子だけでなく、その機械から発される「善意の言葉」が、多くの人が意にも介されないまま日常に溶け込んでいることについて、日本人独特の音への寛容さが背景にありながら、日本社会が集団の中で個が意見を発することを拒み、個が常に権威から発される言葉に盲従する様を指摘している。
 
大部分が筆者の実践的活動に割かれており、面白いのではあるが、著者の活動には共感はできない。
 
その理由は以下の2点にあるように思う。
 
1点目は、著者が組織の論理、効率性を考慮していないことだ。
ここでいう効率性とは、実行性*1ではなく、実行する場合、しない場合それぞれで発生する不利益を比較した場合、どちらが組織にとっての不利益をおさえることができるかという点に着目するものである。

例えば、今まで善意の配慮の枠でしていたことをやめると、基本的に批判は避けられない。配慮に意味がなかったのかと、問われ続けることになる。続けることが、やめることで発生するクレームをおさえる手段になっているのであれば、放送する主体にとっては、放送を続けることが消極的ではあるが、合理的な選択となる。
 
2点目は、著者が公共の責任を引き受けずに、自らの利益のみを主張している点だ。

例えば、幼稚園のバスから発せられる「左へ曲がります、左へ曲がります。」という音声について、著者は幼稚園に対して文句を言っており、結果的に幼稚園バスがルートを変更することになり、著者の要求が通った形となったのだが、幼稚園側としては、バスがまわるルートの効率性や、親の希望等も考慮したうえで、ルートを検討していくことになると思われる。それに加えて著者の一個人の意見もルートを決定していくうえでの考慮材料としなければならないとなると、著者のような感受性を持つ者がバスのルート近辺にいるたび、ルートを変更する羽目になり、非常に対応に苦慮することになるだろう。

苦痛を共感されないマイノリティであることを嘆きつつ、一方では圧倒的マイノリティだからこそ通りうる主張をぶつけている様は、エゴが過ぎるのではないか。

公共に弱い日本人性を訴えながら、公共に直接アクセスして自らの主張を押し通そうとするのは、わがままと言われても仕方がない。
 
と批判的な内容を述べたものの、この本の面白いのは、単なる活動家の自己満足に終わらず、日本人の習性として俯瞰的に物事を捉えようもしている点だ。
感情的になるのではなく、不快の元を突き止める試みは面白い。
対話のしづらさは実感しているところだが、それを打破できないのは、きっと著者のいう日本社会の特質を受け止めすぎていることにある。*2

*1:放送で発される内容を聞いた人が理解し、的確に実行しうるかという意味での実効性

*2:とはいえはそのような社会が生きやすいかは別だ。瞬発的に思いを言葉にできる者にとっては生きやすいだろうが、そうでない人にとっては苦痛だろう。